雑司ヶ谷七福神巡り= 2016.01.03 = |
---|
雑司が谷七福神は、雑司ヶ谷の町おこしのために南池袋一丁目町会長が2010年『雑司が谷七福神の会』を結成したことにはじまり、2011年初詣より『七福神巡り』がスタートしました。 七福神は、東京メトロ副都心線 雑司ヶ谷駅を中心として、メトロ有楽町線 護国寺駅、同 東池袋駅、池袋駅、JR目白駅に囲まれた比較的狭い範囲にあり巡り易いのですが、吉祥天の清土鬼子母神堂だけが少し離れたところにあります。清土鬼子母神堂の近くには護国寺駅があり、今回はここをスタートとし鬼子母神堂、さらに池袋近くの仙行寺を参拝し、有楽町線 東池袋駅から帰りました。 |
七 福 神 | 寺 社 名 | 所 在 地 |
---|---|---|
吉祥天 | 清土 鬼子母神堂 | 文京区 目白台2-16 |
毘沙門天 | 清立院 | 豊島区 南池袋4-25-6 |
恵比寿 | 大鳥神社 | 雑司が谷3-20-14 |
大黒天 | 鬼子母神堂 | 雑司ヶ谷3-15-20 |
弁財天 | 観静院 | 南池袋3-5-7 |
布袋尊 | 中野ビル | 南池袋2-12-2 |
福禄寿 | 仙行寺 | 南池袋2-20-4 |
清土鬼子母神堂 |
清土鬼子母神堂は、鬼子母神像が永禄4年(1561)1月16日に山村丹右衛門によって掘り出された(出現)した旧跡だとされている。清土は当地の旧地名(雑司ヶ谷村小名清土)であり、清土鬼子母神と称されている。 現在、鬼子母神像は南池袋法明寺の鬼子母神堂に祀られている。 清土鬼子母神堂は、有楽町線 護国寺駅からトホ6~7分であるけど、大通りから横に入るのでわかりにくい。七福神の時期は旗が立っているが、旗が無いと通り過ぎてしまうかも知れない。 次の清立院へは、雑司ヶ谷弦巻通りを経るが、弦巻通りの商店はほとんどお休みだった。三が日なのでね。 |
清立院 |
清立院(清龍院)は、正長元年(1428年)頃に真言宗寺院として創建され、後に法華宗(日蓮宗)に改宗したとされている。 雨乞いと皮膚病の祈願寺として崇拝されていた。 院内にはペット霊廟があり、ペットの埋葬や納骨・供養もしている。 清立院は階段を上った小高い丘の上にあり、周囲を見渡すことが出来る。方角から推測すると、昔は富士山も見えたのではないだろうか。 |
高台の境内からの眺め
大鳥神社 |
大鳥神社はもと鷺明神と称し正徳二年(1712年)鬼子母神境内に創祀されたが、明治維新神仏分離に当り現地に移した。 神社の前を都電荒川線が通っていて、しばしば踏切の警報音が聞こえてくる。 |
鬼子母神堂 |
鬼子母神堂のご尊像は、室町時代の永禄4年(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、東陽坊という寺に納めた。 安土桃山時代の天正6年(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っている。 現在のお堂は、本殿が寛文4年(1664年)建立され、その後現在の規模に拡張されている。 昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年から54年にかけ、江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われた。
全体的に人出の少ない雑司ヶ谷七福神だが、ここ鬼子母神堂だけは多くの参拝客がいた。 |
鬼子母神本堂は混んでいたので次回に
観静院 |
観静院は、元禄年間(1688-1704年)に眞光坊日眞が法明寺塔頭として創立され、江戸時代には池袋御嶽神社の別当寺を勤めていた。 神社は明治の神仏分離により、また戦中の国体法に基き神社本庁に組み入れられた。 |
中野ビル |
中野家は大阪城の石材供給地小豆島の出身で、7代目は布袋尊を護持し皇居二重橋や国会議事堂などの石造建築を手掛けた。 ここは寺社ではなく、布袋尊を護ってきた中野家(中野ビル)の1階に鎮座している。 |
仙行寺 |
創立年月は不詳。明治41年(1908年)6月東京府の許可を受け、小石川指ヶ谷町38 善行院 に隣接の仙応院を合併し、仙行寺と改称した。明治45年(1912年)道路改修のため池袋蟹窪に移転したが、昭和20年戦災で焼失。昭和25年区画整理により墓地移転のため現在地に再移転している。 東池袋に近くなり、周囲をビルに囲まれていた。有楽町線 東池袋駅までトホ7~8分というところかな。 |