隅田川七福神巡り

= 2024.01.04 =
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 「隅田川七福神」のある墨東の向島は、市中から日帰りの出来る行楽地として、四季を通じ多くの江戸市民が訪れたところであり、文人墨客と呼ばれる風流文雅の通人たちからも愛された地です。隅田川七福神めぐりはこの墨東の地を、墨堤通り(ぼくていどおり)に沿って歩く大変風流な七福神めぐりです。一度訪れてみてはいかがでしょうか。

七 福 神寺 社 名所 在 地
大 黒 天
恵 比 寿
三囲神社墨田区向島1-4
布 袋 尊弘 福 寺向島5-3
弁 財 天長 命 寺向島5-4
福禄寿尊向島百花園東向島3-18
寿 老 人白髭神社東向島3-5
毘沙門天多 聞 寺墨田5-31

モデルコース
大國神・恵比寿(三囲神社)→4分→布袋尊(弘福寺)→1分→弁財天(長命寺)→13分→福禄寿尊(向島百花園)→3分→寿老神(白髭神社)→20分→毘沙門天(多聞寺)

三囲神社(大國神・恵比寿尊)
 三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、大國神・恵比寿を祀る隅田川七福神の中で浅草に一番近い神社。享保年間に三井家が江戸における守護社と定めたことから、境内には三越池袋店に有ったライオン像が鎮座している。
隅田川七福神 三囲神社
見番通りに面した一の鳥居

隅田川七福神 三囲神社
狛犬とライオンが鎮座する珍しい境内

隅田川七福神 三囲神社
神社本殿

隅田川七福神 三囲神社
大國神・恵比寿尊

弘 福 寺(布袋尊)
1673年(延宝元年)開山、江戸時代には池田氏(鳥取藩)の菩提寺であったが、関東大震災で罹災した。その後、1933年(昭和8年)に再建され、大雄宝殿は区指定有形文化財。
隅田川七福神 弘 福 寺
山 門

隅田川七福神 弘 福 寺
本 堂

隅田川七福神 弘 福 寺
梵鐘は貞享5年(1688年)鋳造

隅田川七福神 弘 福 寺
咳の爺婆尊

長 命 寺(弁財天)
隅田川七福神 長 命 寺
入 口

隅田川七福神 長 命 寺
長命寺は幼稚園の中にある

隅田川七福神 長 命 寺
本堂

向島百花園(福禄寿)
向島百花園は、仙台出身の骨董商 佐原鞠塢氏によって文化元年(1804)造園さ民間庭園として運営されていたが、同氏没後の昭和14年からは公営の公園となった。昭和20年の戦災で焼失, 昭和33年に回復、昭和53年に 国指定名勝及び史跡 に指定された。
12月29日~1月3日は休園だが、「隅田川七福神めぐり」期間中は福禄寿尊堂のエリアのみ入園可。
隅田川七福神 向島百花園
福禄寿

隅田川七福神 向島百花園
池越しにスカイツリー

隅田川七福神 向島百花園
春の七草(特別展示)

白髭神社(寿老人)
今から1,000年ほど昔に近江国の琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の分霊として祀ったことが、白鬚神社の始まりとされる。主祭神は 猿田彦大神様
隅田川七福神 白髭神社
本 殿

隅田川七福神 白髭神社
石 碑

隅田川七福神 白髭神社
神輿蔵

多 聞 寺(毘沙門天)
建立は慶長11年(1606年)。関東大震災・東京大空襲の災害を免れたため、本来の姿をとどめる墨田区で数少ない寺院。特に木造茅葺切妻造四脚門の様式をとる山門は享保3年(1718年)の焼失後に再建されたもので、墨田区に残る最古の建造物
隅田川七福神 多 聞 寺
入 口(奥に山門)

隅田川七福神 多 聞 寺
本 堂

隅田川七福神 多 聞 寺
キッチン・カーと思いきや・・・


 多聞寺参拝で今回の隅田川七福神巡りは終了となった。これから東武鉄道伊勢崎線 鐘ヶ淵駅金八先生撮影地だった堀切駅から浅草駅に戻るのも良いが、白髭橋まで戻り台東区側に渡り浅草まで歩るくのもお勧め。

隅田川七福神

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