深川七福神巡り

= 2012.01.03 =

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 深川七福神は、東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄新宿線 森下駅近くの深川明神宮から門前町として栄える東西線・大江戸線 門前仲町駅の富岡八幡宮の直線約2キロに鎮座する三社四寺によって構成されている。
 コースとしては富岡八幡宮から深川神明宮へ詣でる参拝者が多いそうだが、今回は逆コースを辿ってみた。新年参拝客の多い富岡八幡宮はともすると参拝までに1時間程度掛かることもあるそうで、遅い時間となれば参拝しやすいと思いコースの最後にした。
 寺社を辿るだけならトホ約2時間程度の距離だが、周辺には史跡・旧跡も多く、七福神参拝と併せて下町情緒あふれる深川っを廻るのも良いかと。

七 福 神寺 社 名所 在 地
寿老人深川神明宮江東区
森下1-3-17
布袋尊深川稲荷神社清澄2-12-12
毘沙門天龍光院三好2-7-5
大黒天円珠院平野1-13-6
福禄寿心行寺深川2-16-7
弁財天冬木弁財天冬木22-31
恵比寿神富岡八幡宮富岡1-20-3

深川神明宮
 江戸時代以前に深川は葦の生い茂る三角州だったが、およそ四百年前、摂津(と言われている)から一族で移り住んだ深川八郎右衛門が一帯を開拓した。八郎右衛門はお屋敷内に小さな祠を建て、崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りしたのが深川神明宮の起源と言われている。
お屋敷の小さな祠も深川の発展とともにいつしか深川総鎮守神明宮と称せられ、多くの崇敬を集めるようになった。

深川七福神巡り
深川神明宮

深川七福神巡り
寿老人

深川稲荷神社
 創建は深川でも古く、寛永七年(1630年)と伝えられている。
この付近一帯には江戸時代初期から船大工が多く住み、船の修繕、造船をしており、旧町名を深川西大工町としていた。昭和7年8月に深川清澄町と改称され、その旧名から西大稲荷と称した。
深川七福神巡り
深川稲荷神社

龍光院
 浄土宗 龍光院は、江戸時代初期の慶長16年(1611年)日本橋馬喰町に創建されたが、江戸の大火でたびたび焼失し、天和2年(1682年)に現在の深川へ移転した。
深川七福神巡り
龍光院

円珠院
 日蓮宗寺院の円珠院は、永井讃岐守直允の後室(円珠院殿妙献日寄大姉、享保15年(1730年)寂)が開基となり創建した。 円珠院は浄心寺の塔中(塔頭/たっちゅう)で、関東大震災までは浄心寺の裏手にあったが、震災後の区画整理で現在地に移ったという。
深川七福神巡り
円珠院

心行寺
 元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立、寛永10年(1633年)現在の深川寺町に移転した。
 旧本堂庫裡は大正12年9月の関東大震災により焼失、昭和7年に再建された本堂庫裡も昭和20年3月アメリカ軍空襲のため再度消失。現本堂は奈良平安朝様式に現代風を加味して昭和42年完成したもの。
 福禄寿は星宿の神、南十字星の化身といわれて、長寿をつかさどる人望福徳の福神。心行寺の六角堂に安置されている。
深川七福神巡り
心行寺 六角堂

冬木弁財天
 承応3年(1654年)に、材木商冬木五郎右衛門直次がに江州竹生島(滋賀県)の弁財天の分霊を日本橋茅場町(中央区)の自邸内に祀った。その後、宝永2年(1705年)にその孫 弥平次が現在の地に移したと伝えられている。
 大通りに面した石段を5~6段上がるとすぐの境内は大変狭く、参拝者と氏子の方々で大変混雑していた。
深川七福神巡り
冬木弁財天

富岡八幡宮
 寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建された。
 江戸時代には徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新には朝廷より准勅祭社に治定され、勅使が遣わされた。
 庶民の信仰は江戸の昔から篤く受け継がれ、「深川の八幡様」と親しまれている。毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見る。
 参拝当日は夕方にも関わらず、多くの参拝者でごった返していた。参拝には永代通りから30分ほど並んだ。
深川七福神巡り
富岡八幡宮

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